教習所前


ある友人  若いお母さんの言葉

「 母と子の悲しい事件を聞いて 以前なら憤っていたけど
 自分が母になった今 決して他人事ではないんだ
 一歩間違うと こんな世界もありえるんだ
 と 肝に命じるようになった。」


もし自分が そのような状況におかれたら
自分を省りみることから 意識の転換された
この言葉には とても学ばされるもので
悪とされるものを 想う気持ちへも つながっていく

あるお坊さんも この月の始め こうおっしゃてました
鬼は外。。  鬼はこの自分の内にあるのに と




 

時間


ZONE


和歌山の近代美術館の 学芸員の方が
こう おっしゃってくれた

「 これだけ手数と時間かけました
 ということが 先に見える作品は 今 多いけれど
 君のは 絵ができあがるまでに必要な時間 が 感じられる
 それは 鍾乳洞とかも そうでしょう 」

これは とてもうれしい言葉で 
自然 になることは無理で またそれは おこがましいことやけれど 
もし 観る側にそれを そういう時間を いめーじさせてるとしたら
描くものとしては この上ないもの


一方 作品世界は 外部のなにとも関係ない
その世界だけで ただそこにあるだけ  とも 言えるけれど




聴く

清水
                                             1月3日 清水にて



ひとつの青い

ZONE


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電灯の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電灯の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電灯はうしなはれ)

[宮沢賢治『春と修羅』序文]


わたくし を「現象」と   仏教的




えん


供花


大阪のお坊さんのつぶやき より

「ご縁」という言葉は、普通はいい出会いとか、嬉しいつながりとか
何か良い事があった時に言うけど、 嫌な人との出会いも、逃れられないつながりも
不遇な出来事すべても「ご縁」なんだよね。
「お陰様」という時も同じで、人はどうしても自分に都合のいいことしか喜べないから
苦を厭い楽を求める。実はそれがまた苦をより一層深めることになる。
もし、どんな不都合なことが降り掛かっても
「ご縁」「お陰様」といただければ、その限りでないんだろうけどね。


( ・・これは『誰が誰にどのような姿勢(態度)で語りかけているか』が重要であって
 けっして一般化できるものではありません  との 前提のもと )