紀伊海岸南下計画「 和歌山市全景 松林からみえる砂浜 」



昭和49年 北港の写真 町側へのうすい赤色が
工場からの 鉄粉の飛散にみえる
魚釣り公園の埋め立ては まだない



松林から  昔 ここがゆるかなカーブ描く
海岸線であったことが 想像できた
さいしょ Googleの航空写真→ 和歌山市 より
北港 広大な製鉄工場と 街の境界にのこる松林
また 南港から 雑賀崎 までにのこるそれを見て

のち 明治の地図より
海岸は 紀の川のおおきな三角州でできた
10数キロにおよぶ 砂浜であったことを知る


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昭和37年の写真

現在 地図北の端 磯ノ浦にのみ その砂浜がのこる
磯ノ浦を訪れたことある人なら 想像できるとおもう
今でさえ 2キロにおよぶその砂浜から
昔この河口 両砂浜のスケールが
どれほどのものであったか

たまたま 新日鐵住金 工場見学が
10月なかばにあり 参加
敷地内には 各工場つなぐ線路があった
コンビニもあった 銭湯もあるときく

広大な工場内を バスで案内された
数十年の錆の蓄積 新旧無数の入り組むパイプ
植物がこびり付く 工場の壁面
高炉で溶かされ まだオレンジに光った
高温の鋼板となって 出てくる過程を見
熱く 巨大生物化したような 工場の内を
自分たちは 移動していた


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明治の地図 河口に島が

ガイドの女性が言う
「 左にみえる緑は 工場から出る鉄粉等から
 近隣住民への害をふせぐため 植えたものです 」
上の方が そう教育したのだろう

バスは むかし砂浜だった場所を走っていた
ある場所は 植えたものもあるだろう  でも
一目みて その松林が当時からのものとわかった
のちに訪れた お寺の住職の言葉からも
そのことが 確認できた

昔 海からの風や砂から
土地の人を守っていた 松林が
今では 鉄粉を防ぐことに
一役かってしまっている

山や海にたいする圧倒と でも
この巨大な人工物への圧倒は なんだろう
それは矛盾しないと 友人は言う。。
その下に眠る 浜のことをおもいながら
のちに 磯ノ浦 松江の町を歩いた